バイブルメッセージ Bible Message

主に向かって叫ぶ者への報い (詩篇142・1~8)

2023年 7月 1日

「声を張り上げ、主に向かって叫び 声をかぎりに、主に向かって恵みを求めよう。」(2)

 

ダビデは元々羊飼いとして、命がけで猛獣から羊を守りました。如何なる危険、苦難の時も主なる神が共におられ守ってくださいました。だから、この洞穴の中でも、何よりもまず、主に向かって叫び祈ったのです。

私たちは、苦難に直面した時、誰に向かって叫んでいるでしょうか。もちろん緊急事態において、身近にいる誰かにSOSを出したくなります。でも、そんな時、何よりもまず主に向かって叫び祈る者でありたいと思います。なぜならば、主に叫び祈るならば、主は私たちの置かれている現状を御存じで、必要な助けを与えてくださるからです。

 

どう叫び祈ったのか

次にダビデは、どう叫び祈ったのでしょうか?「御前に嘆きを注ぎ出し、御前に苦しみを告げよう。」(3)ダビデは、サウル王に嫉妬され、殺意を抱かれ、逃亡者とならざるを得なくなりました。なぜこんな目に遭うのかという嘆きがあり、苦しみがありました。身も心もボロボロな状態です。そのありのままの姿を、ダビデは神の御前に出て、さらけ出したのです。主に向かって叫ぶ祈りとは、主の御前に自分の嘆き、苦しみを何もかもさらけ出すことです。

そしてダビデは、そうすることであることに気づくのです。

「私の霊が萎え果てるときも あなたは私の小道を知っておられる。私が歩むその道で、彼らは私に罠を仕掛けた。私の右側に目を注ぎ、よくご覧ください。私に気を留める人などいない。逃げ場も失われ、私の魂を気遣う人もいない。」(4~5)

ダビデの霊は萎え果て、つまり消え失せそうな状態の中、やっとの思いで洞穴に逃げ込んだのですが、そのとき、そこまでの道を思い起したのです。その道には罠が仕掛けられていました。「右側に目を注ぎご覧ください」とダビデは言っています。「右側」というのは、助ける者が立つべき所なのです。この時、誰もダビデに気に留め、気遣い助ける人もいなかったのです。

でも、ダビデは悲観的なことを言って嘆いてばかりいるのではありません。

「私の霊が萎え果てるときも あなたは私の小道を知っておられる。」(4)誰も気にも留めない「私の小道」を主は知っておられる。主は気に留め、気遣っておられると言っているのです。私たちにも、様々な小道があります。苦闘している小道、もがいている小道。八方塞がりの小道。しゃがみ込んでしまう小道があります。そして誰も気に留めず、助けの手を差し伸べてくれないと思っている小道があるでしょうか。主なる神は、そんな私たちの小道を知っておられるのです。心に留め、気遣ってくださるのです。

 

主こそわが報い

だから、ダビデは主に向かってこう叫んでいるのです。「主よ、私はあなたに向かって叫び、言います 『あなたはわが逃れ場 生ける者の地の、わが受くべき分』と。」(6)自分は今、洞穴に逃れているけれども、あなたこそが「わが逃れ場」だと告白しているのです。

ここで「あなたは『わが受くべき分』」とあります。かつてイスラエルの民が、約束の地カナンに入ったとき、12部族の内11部族に、嗣業の地として受け継ぐ土地が分割され与えられました。そのとき、目に見える形で土地を与えられなかったのがレビ族でした。その時、主は彼らにこう言われたのです。あなたがたの嗣業は、私自身である。

ダビデは、そのことを思い起しながら、私が受くべき分、私の報いは、何よりもあなた御自身です。と告白しているのです。たとえ洞穴に追い詰められるような状況があっても、主に向かって叫ぶ者は、主なる神こそが逃れ場であることを悟り、主御自身を報いとして受け取るお互いとならせていただきましょう。

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)

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