この方のなさったことは すべて素晴らしい(マルコ7・31~37)
2023年 9月 1日主イエスが、耳が聞こえず、口の利けない人を話せるようになさったとき、人々は驚いて「この方のなさったことはすべて、すばらしい」と言いました。主のなさることはどれほど素晴らしいのでしょうか。
イエスは、……指をその両耳に差し入れて……
「そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾を付けてその舌に触れられた。」(33)
なぜイエス様は、指をその両耳に入れ、唾を付けて、舌に触れられたのでしょうか。
J・T・シーモンズ先生は、「イエスがこの人に触れるために御自身の手を用いられたのは、この人の耳が聞こえなかったからで、イエス様が耳に指を入れ、舌に触れたのは、コミュニケーションをとるための手話だった」と記しています。
天を仰いで呻き
「そして、天を仰いで呻き、その人に向かって、『エッファタ』と言われた。これは、「開け」と言う意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきりと話すようになった。」(34~35)
主イエスは、「天を仰いで呻」かれました。なぜ呻かれたのでしょうか。
「霊もまた同じように、弱い私たちを助けてくださいます。私たちはどう祈るべきかを知りませんが、霊自らが、言葉に表せない呻きをもって執り成してくださるからです。」(ローマ8・26)
聖霊は、私たちの弱さを御存じで、助けてくださる。呻きをもって執り成してくださるお方です。主が、天を仰いで呻かれたのは、耳が聞こえず、舌が回らない人に手で触れて、手話で会話し、その人の苦悩、痛み、悲しみのすべてをご自身で受け取られ、呻きをもってその人のために、天の父なる神に執り成されるためでした。
主イエスは、私たちの苦悩、痛み、悲しみのすべてを御存じで、そこに触れ、共感してくださり、一緒に痛み、その病を負ってくださり、呻きをもって執り成し、祈ってくださるお方です。だから、私たちも、「イエス様、私の心の傷、体の痛みに、弱い所に触れてください」と祈り、今一度イエス様に、何もかも委ねようではありませんか。主は触れてくださり、弱さの中にある私たちを受け取ってくださり、そして大いなる御業を現わしてくださいます。
エッファタ(開け)
そして主イエスは、「エッファタ」「開け」とこの人に言われました。主が「開け」と言われると、この人は耳が聞こえるようになり、はっきりと話すことができるようになりました。それはイエス様の言葉を、神の言葉を聞くことができるようになったということです。ここには記されていませんが、おそらくこの人は、自分の口で、はっきりと主を崇め、賛美したでしょう。それを見た人々は驚いて「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」(37)と言ったのです。
主が、私たちすべての者の霊的な耳を開き、主の言葉を聞けるようにし、この私の舌のもつれをほどき、神を賛美する者としてくださることほど素晴らしいことはありません。そして主は今も、そのために呻きをもって執り成してくださっています。