バイブルメッセージ Bible Message

「主の名を賛美し続けるならば」

2023年 11月 1日

「ハレルヤ。主の僕たちよ、賛美せよ。主の名を賛美せよ。主の名がたたえられるように 今より、とこしえに。日の昇る所から日の沈む所まで主の名は賛美される。」

(詩編113・1~3)

 

この詩編は「主の名を賛美せよ。賛美せよ。賛美せよ。」と繰り返し、歌われています。「主を賛美せよ」ではなく「主の名を賛美せよ」とあります。主の名を賛美することも、主御自身を賛美することですが、主の名を呼んで賛美するとき、主なる神がどのようなお方であるかを更に深く味わい、かみしめながら賛美することができます。

モーセが主なる神に、あなたをどうお呼びすればよいですかと尋ねたとき、主は「わたしはある」という者だと答えられました。

「わたしはある」という名の神を賛美する。それは、初めから存在し働かれる神、天地万物が造られる前から存在し、万物を創造され、私たち人間を御自身の似姿に造られた神を賛美することです。

もうすぐアドベントを迎えますが、救い主イエスの誕生を天使が告げ知らせたとき、「その名は、インマヌエルと呼ばれる。……神は私たちと共におられる」それがイエス様の呼び名でした。

主の名を賛美せよ、それは、初めからおられ、天地万物を、私たちを造られ、いつも私たちと共におられる方を味わい、かみしめながら賛美せよということです。

ところで私たちは、悲しみ、痛み、苦悩の中にあって「主の名」を叫び求めることはできても、「主の名」を賛美できないと思うかもしれません。そんな時、どうすれば良いでしょうか?

先日、みぎわさんがコンサートの中で、謙遜にこう言っておられました。

「私は聖書の言葉を覚えるのが苦手だから、聖書の言葉をそのまま賛美しようと決心した」

私は、早速YouTubeチャンネルみぎわTVを視聴しました。沢山の御言葉が賛美され、繰り返し繰り返し賛美され、主がどのようなお方であるかが分かり心に響いてきました。例えば「主は羊飼い」とか「荒れ野に道を敷かれるお方」とか、「真実で正しい方」「私はよみがえり」とか御言葉によって「主の名」が賛美されます。

私は、例えば東京拘置所に車で向かうとき、受刑囚、死刑囚のことを考えたり、あるいは教団の会議のことを考えたり、いろいろなことを思い巡らして運転することが多かったのですが、先日は、みぎわさんの御言葉賛美を聞きながら運転したところ新鮮な思いの中、全く違った景色が目に飛び込んできました。

交差点で信号待ちの時、横断歩道を渡っている人を見ながら、この人たちに祝福がありますようにと祈りました。教会のすぐ近くの交差点、中学生が横断していました。時間的に完全に遅刻です。下を向いてとても辛そうでした。そんな彼を見て、神様、この若者を祝福してくださり、この一日を生きる力を与えてくださいと祈ることができました。

御言葉賛美と共に主の名を賛美している自分が力づけられ、多くの人々に思いを寄せ、祈る力が与えられました。改めて主の名を賛美する者に与えられる力を実感できました。

今の世界も、日本は、いや私たちのすぐ身近においても、主の名が賛美されるのではなく、人や物が崇拝され、賛美される時代です。そのために、分断が起こり、格差が起こり、対立が起こり、そして、弱い者たちが苦しめられています。しかし、そのような社会の中で私たちが主の名を賛美し続けるならば、私たちが住む世界にインパクトを与えることができると約束されています。

「日の昇る所から日の沈む所まで主の名は賛美される。」(3)

私たちが主の名を賛美し続けるならば、やがて全ての民の中で、主の名が賛美されるようになるのです。主の名を賛美しましょう。讃美歌も新聖歌も皆、御言葉から生まれた主の名を賛美するものです。主の名を賛美し続けましょう。そうすれば、すべての民の中で主の名が賛美される日が必ずきます。

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)

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