イエスの名によって罪赦された者たちよ (ヨハネの手紙一、2・12~14)
2024年 3月 1日「子たちよ、あなたがたに書き送ります。イエスの名によって あなたがたの罪が赦されたということを。」(12)「子たちよ」という呼びかけは、2章1節で「私の子たちよ」と呼びかけているのと同じ言葉であるのに対し、14節の「子どもたちよ」は、幼子を指す言葉が使われています。
ですから、12節の「子たちよ」という呼びかけは、神に愛され、イエス様の救いにあずかり神の子とされたすべての者たちに向かっての呼びかけと受け取れます。
ところでヨハネはなぜ「イエスの名によって、あなたがたは赦された」と言っているのでしょうか? イエスという名前自体は、旧約聖書、ヘブライ語のヨシュアが、新約聖書、ギリシャ語では「イエス」となり、その意味は「主は救い」です。ヨシュアは有名な名前です。しかし、真の神が真の人となられて世に来られ「イエス」と名付けられたお方は、どんな罪人をも赦し、闇の中から光へ招き入れることがおできになる特別なお方です。
イエスの名によって、罪が赦される。それは、全く闇のないお方が人間の罪を隠すのではなく明らかにされたからです。そして、その明らかにされた罪を、全く罪のないお方が全部背負って十字架の死と共に葬り去ってくださったからです。そして罪赦された者は、聖なる愛の神と和解し、再び神との交わりに招き入れられ、神の光の内を歩む者とされたのですから、その交わりを深めていくことができるのです。
父たちよ
「父たちよ、あなたがたに書き送ります。あなたがたが初めからおられる方を知っているということを。」(13a)「父たち」はキリストの体なる教会の中での年長者、指導的な立場、模範的な人たちへの呼びかけです。ただ信仰生活が長いということではなく、霊的に成熟した者たちという意味での呼びかけです。
信仰者として、傷つき、痛み、なぜ私にこのようなことが起こるのかと神に訴えたときがあり、またどうにもならない苦難の中で、悲しみ、痛み、時に神に疑いを抱くことさえあり、ある時には、自分の足りなさに悩み、涙することもあったのです。
しかし、主の愛の御手で包み込み、慰め、励まし、立ち上がらせ、共に歩んでくだった方、主を信頼し続け、主との交わりを深めていった人たちです。
若者たちよ
「若者たちよ、あなたがたに書き送ります。あなたがたが強く 神の言葉があなたがたの内にとどまり あなたがたが悪い者に勝ったということを。」(14a)
若者と呼ばれる世代は、行動範囲も広いのです。この世でも、キリストの体なる教会の中でも責任を任されて行動するようになります。しかし、粗削りのところがあり、時に経験不足、未熟さがあり、この世との接点も多く、誘惑も受けやすいのです。罪に屈しないための戦いに勝利する必要があります。
内に蓄えられている御言葉によって悪に勝利することができるのです。(詩編119・9~11参照)
子どもたちよ
「子どもたちよ、あなたがたに書き送ります。あなたがたが御父を知っているということを。」(14a)
クリスチャンになって日が浅い。でも、父なる神を知っているのです。「アッバ父よ、パパ、お父ちゃん」と親しみを持って呼ぶことができるのです。時にわがままを言ってしまうかもしれません。でも、父なる神が何とかしてくださるという信仰に生きる。それが幼子たちです。他の何かに頼るのではなく、御父に頼る幼子たちを神は愛し、育ててくださいます。
私たちが今霊的にどの段階にあるかはともかくも、御言葉を蓄えましょう。そして、御言葉と祈りを通して、主との交わりを深め、もっと深く主を知る者とならせていただきましょう。