あなたに言う。起きなさい (ルカ7章11―17節)
2020年 4月 1日夫に先立たれ、その後支えとなっていた最愛の息子、しかも一人息子が死んでしまったある母親は、何によっても埋めることができない深い悲しみ、痛み、喪失感の中にありました。その息子の棺が担ぎ出されるところにイエス様はやって来られました。まさにこの息子の死と向き合われたのです。
主イエスの憐れみ
「主は、この母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくてもよい』と言われた。」
日本語の聖書で憐れみと訳されている言葉の原文の語源には、腸(はらわた)という意味があります。日本語にも、断腸の思いという表現があります。太平洋戦争の頃、生きて帰ってくるか分からない息子たちを母親たちは断腸の思いで送り出しました。主が、一人息子を失った母親を見て、憐れに思ったとは、母親への単なる同情ではなく、断腸の思い、心が引き裂かれている母親と全く同じ思いになったということです。
そして主は「もう泣かなくてもよい」と言われました。泣いている母親と同じ思いになられた主は、一緒に涙を流されたに違いないのです。そのまま、しばらく静かに寄り添うこともできたでしょう。しかし、主は「もう泣かなくてもよい」と言われました。なぜでしょうか。それは主御自身が、少しも余すことなく完全に彼女の痛み、苦悩、喪失感を受け取られたからです。
あなたに言う。起きなさい
「そして、近寄って棺に触れられると、担いでいた人たちは立ち止まった。イエスは、『若者よ、あなたに言う。起きなさい』と言われた。すると、その死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子を母親にお渡しになった。」(14、15節)
主イエスが棺に触れたというのは、この息子の遺体に触れたと同じことです。母親の張り裂ける心と一つになった主は、今度は、息子の死と一つになられたのです。そして、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われました。すると、息子は起き上がってものを言い始めました。
それを見た人々は恐れを抱き、「偉大な預言者が我々の間に現れた」と言って、神を崇めました。この「現れた」という言葉の元の言葉は、「起きなさい」や「起き上がった」と同じ語源の言葉です。ですから、人々は、偉大な預言者が起き上がったと言ったのです。このことは主が死んで葬られ、死者の中から復活し、復活の命を与えるお方であることを指し示しています。
人は、この地上にある限り、病が癒されても、いつか肉体の死を迎えます。この息子は主の憐れみによって蘇りましたが、だからと言って今もナインの町で生活していません。彼も死にました。しかし、この地上での死は終わりではありません。
永遠の神でありながら、真の人となってこの世に来られた主イエスを信じ、結ばれるならば、この地上で肉体的な死を迎えても、わたしたちの魂は滅びることなく、しかも来るべきときには、一度滅んだ肉の体も栄光の体に変えられ復活するのです。
わたしたちが自分ではどうすることもできない朽ちる体を身にまとっているのは、この世界に入り込んだ罪によるものです。
今、新型コロナウィルスが世界に入り込み、あっという間に世界を覆ってしまいましたが、神が造られたはじめの人アダムとエバが罪に堕落したとき、罪はあっという間に世界中に蔓延しました。わたしたちは、アダムの子孫であり、誰一人罪のない人はいません。そして、この罪が解決されないかぎり、わたしたちは永遠の滅びを免れることはできません。
しかし、全く罪のない神の御子イエスが、全人類の罪を、病いを、痛み、悲しみ、苦悩のすべてを負って十字架に架かられ、その心も体も引き裂かれ、御自身の死と共に、それらをことごとく葬り去ってくださいました。
主イエスは、十字架の御受難を前にして、弟子たちに言われました。「互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13・34)イエス様にとって、愛するとは、御自身の命を与えることです。
今、ヨーロッパの特にイタリアでは、急激な感染者の増加で、医療崩壊が起こりました。最先端の医療技術、スタッフがあっても、医療の限界、人間の力の限界を超えた勢いで感染が広がり、犠牲者の中には、感染した人を治療する医療従事者、感染して亡くなった方の葬儀等を執り行う司祭が多数含まれていることを知りました。とても痛ましい、悲しいことです。しかし、彼らのこの地上での命が滅んでも、キリストによって与えられる復活の命によって、その魂は今も生きています。
わたしたちの国籍は天にあります。コロナウィルスの問題は、とても深刻ですが、全世界がこのことをして、お互いの対立、差別、敵意を捨て、キリストの愛によって、互いに愛し合うことができるように、One teamとなることができると信じて祈り続けましょう。
「あなたに言う。起きなさい」それは、肉体の死からの復活以上のことです。主イエスは、今、私たち一人一人に対しても、起きなさい、起き上がりなさいと語っています。どう起き上がるのでしょうか。もう一度新しく、キリストの愛に満たされて起き上がるのです。キリストの愛に生かされて起き上がるのです。そして、キリストの愛を分かち合うために起き上がるのです。