バイブルメッセージ Bible Message

何もかも知っておられる主     (詩編139編1~12)

2021年 2月 1日

詩編139編1節には、「主よ、あなたは私を調べ 私を知っておられる」とあり、3節には「私の道を知り尽くしておられる」、4節には「主よ、あなたは何もかも知っておられる」とあります。

 この「知る」という言葉は、親密さを意味する言葉です。私たちが神を知る前から、神はわたしたちを知っておられるのです。それは、神が私たちをまず愛してくださったからです。私たちが神を見出し、神を愛したからではなく、神がまず私たちを愛し、その愛する者を知り尽くしておられるのです。私たちの弱さも、痛みも、悲しみも、苦しみもすべてを知り尽くしておられる、何もかもご存じなのです。

 神は全知全能です。何もかもご存じであり、できないことは何一つありません。そして神の全知全能性は、神のご愛と切り離すことはできません。それゆえ、私たちが今どこにいても、どのような状況にあっても、神はそのただ中にいてくださるのです。

 「どこに行けば、あなたの霊から離れられよう。どこに逃れれば、御顔を避けられよう。天に登ろうとも、あなたはそこにおられ 陰府に身を横たえようとも あなたはそこにおられます。」(7)

 

 「天に登ろうとも、あなたはそこにおられ」とありますが、天国に、神がおられるということに同意することは難しくありません。しかし、続いてダビデは「陰府に身を横たえようとも、あなたはそこにおられます。」と驚くべき告白をしています。

 旧約聖書の時代の人々は、陰府は、神の力、神の恵みが届かないところと考えられていました。しかしダビデは、自分がたとえ陰府に横たわることがあっても、そこに主がおられると告白しているのです。

 

 罪と全く無縁の神の御子、主イエスは、私たちの罪の犠牲となって、十字架の死と共に罪を葬り去ってくださったとき、人間の罪の悲惨さをも知ってくださいました。そして、死んで葬られ、陰府にくだられました。そこで、罪に捕らわれている霊に向かって宣教されました。さすがにそこには、神はおられないだろう。そう私たちが思うようなところにも、神はおられるのです。

 「『闇は私を覆い隠せ。私を囲む光は夜になれ』と言っても 闇もあなたには闇とならず、夜も昼のように光輝く。闇も光も変わるところがない。」(11、12節)

 

 私たちは、もうだめだ。真っ暗闇だ。絶望的だと思うことがあります。けれども、主がおられないところはないので、主の光が届かないところもありません。主御自身が光だからです。主がおられるので、闇も闇でなくなるのです。

 主はその御愛の故に、何もかもご存じで、私たちのどんな状況の中にも共にいてくださるのです。

 イエス様は、私たち一人一人を知り尽くしておられます。私たちの弱さも罪も、傷も痛みもご存じです。そして、天において、私たちのために祈ってくださっています。そして、聖霊様を通して、私たちの内におられ、私たちを知り尽くしておられます。何もかもご存じです。

 私たちの目に見える現実がどんなに悲惨に思えても、主は、陰府にまでくだられた方です。また、主は光です。どんな闇も闇ではないのです。光である主がおられるからです。何もかもご存じで、愛し尽くしてくださる主を信頼して更に進んで参りましょう。

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)

テレホンバイブルメッセージ 同じ内容のメッセージを電話でも3分間、聞くことができます。 03・3865・3307