聖霊によって受ける主イエスを証しする力
「ただ、あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人となる。」(使徒言行録1・8)
聖霊の力を受けるとき、あなたがたは、「私を証しする者となる」と主イエスは言われました。それは、その人が主イエス・キリストの似姿に変えられていくからです。
聖霊が与える力によって、神の偉大な御業、主イエスが成し遂げてくださった救いの業を大胆に証しする者となります。
「五旬祭の日が来て、皆が同じ場所に集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から起こり、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした。」(2・1~4)
「一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした」のです。五旬祭、ペンテコステとは、イスラエルの民が、エジプトの奴隷から解放されたことを覚える、過越の祭りから50日目という意味で、元々小麦の収穫を感謝する刈入れの祭りでしたが、やがて、シナイ山でモーセを通して、イスラエルの民が神の戒め、律法を受け取ったことを祝い、記念するようになりました。
ところがイスラエルの民は、心を尽くして神を愛し、隣人を自分のように愛するという律法の要求を果たすことができず、真の神に背を向けたのです。しかし、その彼らに主なる神は、預言者エレミヤを通して、こう言われました。
「その日の後、私がイスラエルの家と結ぶ契約はこれである――主の仰せ。私は、私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心に書き記す。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる。」(エレミヤ31・33)
この新しい契約は、主イエス・キリストの十字架と復活による罪の贖いの完成、そして主が天に戻られ、約束の聖霊を降した聖霊降臨日に成就しました。
聖霊降臨日の講壇の典礼色は赤です。聖霊は、赤い炎となって神を信じる者の一人一人に降り、心の汚れを焼き尽くし、清めてくださり、神の愛の言葉を書き記し、そこを住まいとしてくださいました。聖霊は、一人一人の内にあって、神の偉大な御業を語る力を与えました。
「ただ、あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人となる。」
ある宣教師の先生は、「エルサレムとは、私たちの家、家族、ユダヤとは、地域社会です。そして、サマリアとは、私たちが関わりたくない人たちのいるところだ」と述べています。聖霊は、敵のように思える人をも愛する力を与え、地の果てまでキリストの証し人となる力を与えてくださいます。
地球は丸いから、地の果ては究極的には、自分のすぐ隣にいる人だ、とある先生が言われました。そのすぐ隣にいる家族、親しい人たちに福音を伝えることに難しさを覚えることがあります。
聖霊は、臆病の霊ではなく、力と愛と思慮の霊です。コロナ禍の今こそ、身近な人に福音を伝えるチャンスです。聖霊は、私たちを主の似姿に変え、神の愛の言葉を心に書き記し、そして、地の果てに至るまで主イエスの証人になる力を与えたのです。