奇跡を引き起こす信仰と服従 (ヨハネ2・1―12)
2021年 7月 1日
主イエスは、母マリアと兄弟、弟子たちと共にカナでの婚礼に招かれました。当時のユダヤ地方での結婚式は1週間続きました。その婚礼の中、祝いのぶどう酒がなくなってしまうという一大事件が起こります。
主の軌跡を待ち望む
ぶどう酒が尽きてしまったことにいち早く気づいたマリアは、「ぶどう酒がありません」と主イエスにすぐに伝えたのです。マリアには、イエス様が何とかしてくださるという信仰がありました。
ところが、この時のイエス様の反応は、意外にも、とても冷たく感じるものでした。
「女よ、私とどんな関わりがあるのです。」(4節)
「女よ」という言い方を聞くと、母親に向かって失礼な言い方に聞こえますが、これは、「婦人よ」という相手を尊敬する言葉なので、そこは問題ではありません。
ただ続けて、「私とどんな関わりがあるのですか」と言われました。それは、まるで、その件は、私の責任ではありません。関係ないことです。と突き放しているように聞こえます。
しかし、更にこう言われました。「私の時はまだ来ていません。」「私の時」イエス様の時、御自身が救い主であることを公に現わす時は、今ではないと言われたのです。
このイエス様の言葉に対するマリアの反応はどうだったのでしょうか。マリアのイエス様への信仰、信頼は全く揺らぎません。マリアは、その家の召し使いたちに、イエス様が何か言われたらその通りにしてくださいと告げるのです。
私たちは、イエス様に祈り求めるとき、「本当に聞かれているのか、答えが返ってこない」と思うことがあります。イエス様は、祈りを聞いてくださっています。主イエスは、最善の時に、最善のことをなしてくださるお方です。マリアのように、私たちもなお主を信頼して、神の奇跡が起こる時を待つ信仰に生きる者でありたいと思います。
主イエスの言葉に従う召し使い
主イエスは、その6つの水がめの縁までいっぱいに水を入れ、それを宴会の世話役のところに持っていくように命じました。彼らが言われた通りにし、世話役がその中身を確かめると、何とその水はぶどう酒に変わっていました。世話役は驚きましたが、召し使いたちは、その理由を知っていました。召し使いたちは、水がめの半分とか、8割ぐらいで十分だと思わず、イエス様の言われた通り縁まで水を入れました。
主イエスを信頼し続けたマリア、そして、主イエスの言葉に従った人々を通して、主の奇跡は起こりました。
世話役は、運ばれてきた水がめの中身がぶどう酒であることを知り、驚いて花婿を連れてきてこう言いました。
「誰でも初めに良いぶどう酒を出し、酔いが回った頃に劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておかれました。」(10節)
私たちは今、「○○がありません」とか、「○○ができません」と叫び祈っているかもしれません。主イエスの答えが返ってこないように思っていることがないでしょうか。マリアの信仰、召し使いたちの御言葉への服従に倣って、主の御業を待ち望みましょう。