バイブルメッセージ Bible Message

父の約束したものは待ちなさい(使徒言行録1章3~8節)

2022年 6月 1日

父の約束されたものをどのように待つのか

 

「エルサレムを離れず、私から聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。」(使徒1・4後半)弟子たちは、「エルサレムを離れず」に待ちました。エルサレムのサレムとは、平和、シャローム。エルサレムとは、神の平和の町という意味です。

エルサレムは、主イエスが十字架で死なれ、罪の贖いが成し遂げられた時、神殿の幕が上から下に真っ二つに裂け、神様と人間が再び親しく交わる道が開かれることが宣言された場所です。

エルサレムは、弟子たちにとって、イエス様を裏切った場所であり、イエス様が処刑された場所であり、そのために、自分たちも身の危険を覚えて身を隠すしかなかった絶望的な場所でもありました。しかしそこは、主が御復活された場所であり、弟子たちは、そのイエス様に出会い、希望が与えられた場所でもありました。失敗、挫折、希望すべてを経験した場所でした。イエス様は、そのエルサレムを離れず、父が約束されたものを待ちなさいと言われたのです。

ところが、弟子たちは、その真意を誤解していました。「エルサレムを離れず、父が約束されたものを待ちなさい」と言われたとき、いよいよイエス様がイスラエルの王として、国が再建される時が来るのだと考えました。それで弟子たちは6節でこう尋ねています。

「主よ、イスラエルのために国を建て直して下さるのは、この時ですか」

しかし、イエス様が天に挙げられた後は、いつですかという問いかけをやめ、心を一つにして祈り始めました。彼らはエルサレムを離れず、そこで心を注いで祈る者となって、父なる神が約束されたもの、聖霊を受ける時を待ち望みました。それは、自分たちの心の中に、神の国が建て直される時を待ち望むことでした。

私たちにとってのエルサレムはどこでしょうか。それは自分の失敗、罪、悲惨さを自覚しながら主の十字架を仰ぎ、復活の希望を持って、神が良しとされる時に神が最も良いことをされると信じて神の時を待ち望む場です。

 

 

父の約束さてたものを待つ者が得る新たな力とは

 

それでは、主を待ち望む者が得る新たな力とはいかなる力でしょうか。

「ヨハネは、水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって洗礼を受けるからである。」 (使徒1・5)

 

「聖霊によって、洗礼(バプテスマ)を受ける」バプテスマ、洗礼という言葉には、浸すという意味があります。布を染料液に浸けると、その色に染まります。

ですから、イエス様の十字架と復活を信じる者に約束されている聖霊によるバプテスマとは、イエス様と一体化することです。イエス様の愛と恵みにどっぷりとつかり、イエス様の愛と恵みの色に染まることです。「ただ、あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。」(1・8前半)イエス様は、神でありながらも、御自身を無にされ、人となられ、僕の姿を取られ、十字架の死に至るまで従順であられ、私たちの罪を贖って下さり、死者の中から復活され、今も生きておられるお方です。ですから、どんなどん底にある人、弱さを覚える人、勢いのない人も、つまずき倒れる人も、主の前にへりくだって、主に望みを置き、主を待ち望むならば、その人は、聖霊様を通して、イエス様に満たされ、イエス様の色に染まり、愛の力を受けとることができます。

「そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、私の証人となる。」(1・8後半)私の証人、つまりイエス・キリストの証人、イエス様を証しする人となります。「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで」とあります。それは、あらゆる人にとっての証人となるということです。聖霊に満たされ、イエス様色に染まった人の心は、人を分け隔てする思いが消滅し、すべての人を愛する者に変えられるからです。

「キリストにあずかる洗礼を受けたあなたがたは皆、キリストを着たのです。ユダヤ人もギリシャ人もありません。奴隷も自由人もありません。男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです。」(ガラテヤ3・27〜28)

父の約束されたものを待つ者が得る力、それは、キリスト御自身の力です。人を分け隔てせず愛する力、キリストの愛の色に染まって、イエス様を証しする力です。神が愛されている世を、神の御愛で満たす力です。

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)

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