あなたは、このことを信じるか(ヨハネによる福音書11章)
2023年 4月 1日あなたの愛しておられる者が病気なのです
ヨハネによる福音書11章は「ある病人がいた。」と始まっています。その人の名はラザロ、マリアとマルタという二人の姉妹がいて、三人はベタニアに住んでいました。マルタとマリアは、ラザロが病気になり、いてもたってもいられず、イエス様のところに人を送ってメッセージを届けます。「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」イエス様ならば、すぐに来てくださり癒してくださるに違いない、そう思ったのです。
「イエスは、それを聞いて言われた。『この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである』」(4)
イエス様は、「死は終わりではなく、神の栄光のため」と言われました。この伝言を受け取った人は、「死で終わらない」という言葉を「ラザロは死なない、元気になる」と受け止め、そうマリアとマルタに伝え、二人は今か今かとイエス様が来るのを待っていたのですがラザロは死んでしまったのです。
ラザロが死んで四日目にようやくイエス様は到着しました。
当時、イスラエルの人たちは、人が死んで三日間、魂は肉体に留まっていて、四日目に永久にその肉体から離れると信じ教えられていました。ですから、四日という期間は、望みが完全に絶たれたことを意味しました。その時にイエス様が到着したのです。
しかし、あなたが神にお願いすることは何でも
マリアもマルタも失望していました。マリアは、家に閉じこもってしまい、出ようとしませんでした。一方、マルタは、イエス様が来られたと聞くと、出て行ったのです。マルタは悲しみをイエス様にぶつけずにはおれなかったのです。「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」(21)マルタはイエス様に不平を述べているように思えます。あなたが早く来てくださらなかったから、ラザロは助からなかった、と。
「しかし、あなたが神にお願いすることは何でも、神はかなえてくださると、私は今でも承知しています」(22)
マルタがイエス様に「あなたがここにいてくだされば……」と言ったとき、イエス様はきっと慰めに満ちたお顔でマルタの顔を覗き込んで、マルタのほほを伝わる涙を拭きとられ、マルタの悲しみに共感されたのでしょう。そんなしばらくの時を経て、マルタは、「しかし」と始めたに違いないのです。「そうだイエス様に不可能はない。」とマルタは、イエス様への信仰を告白し、絶望の中に希望を見出したのです。
あなたはこのことを信じるか
そのマルタにイエス様は 「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。このことを信じるか」(25~26)あなたは「このことを信じるか」
失意の中にあったマルタは、答え
ました。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであると私は信じています」(27)
主イエスは今も私たちに対して、私が真の神であり、真の人となってこの世に来て、永遠の滅びをもたらす罪を十字架の死と共に滅ぼし、信じる者はたとえ死んでも生きることを信じるか、と問うておられます。
主イエスは、一人一人に対して、周りの誰かではなく、家族の誰かでもなく、あなたに対して、「あなたは、このことを信じるか」と問いかけておられます。私達も、マリアのように、はい、信じますと応答し、イエス様としっかり結ばれ御国を目指して更に進んで参りましょう。