十字架の言葉に堅く立って
2024年 9月 1日十字架の言葉を否定する者
「なぜなら、人を惑わす者が大勢世に出て行ったからです。彼らは、イエス・キリストが肉体をとって来られたことを告白しません。こういう者は人を惑わす者であり、反キリストです。」(ヨハネの手紙二、7)
キリストについての間違った教え、異端はこの世に今も無数にあり、それらはキリストの十字架を否定する教えです。神が肉体の姿を取ってこの世に来られ、十字架で人間の罪を贖われたことを否定するものです。
また、キリストに関する偽りの教えの中には、キリストがメシアとして来られたのに、十字架にかかったのは失敗だった。だから私こそが真のキリストだ、と主張する偽キリストが、この世に現れては消えるという歴史が繰り返されてきました。
先走らない神
「先走って、キリストの教えにとどまらない者は皆、神を持っていません。その教えにとどまっている人は、御父と御子とを持っています。」(9)
「先走って」とあります。それは、結局、私たちが本来通るべきプロセスを無視することとなります。
神様が私たちを愛し救うために、先走ることはなかったのです。先走るどころが、時間をかけて私たちを愛し続け、ご自身が苦しみを通って、痛みを通って、十字架による罪の贖いを成し遂げてくださったのです。
その十字架の福音を聞いたのに、キリストの御愛を知ったのに、神が肉体をとって来られるなどやはりありえないのではと先走って、キリストの教え、キリストの十字架の言葉から離れていった人がいたのです。
「御父と御子とを持っている」とは、三位一体の神の聖なる愛の交わりの内にとどまっているということです。御子とは、肉体を持ってこの世に来てくださったキリスト・イエスです。ですから、御子イエスの十字架を否定する人は、「御父と御子とを持つ」ことができないのです。
十字架の言葉に堅く立って
「十字架の言葉は、滅びゆく者には愚かなものですが、私たち救われる者には神の力です。」(コリント一、1・18)
十字架の言葉、十字架の福音は、その言葉を信じない人、つまりキリストが肉体をとって来られたことを否定する人にとっては愚かなものとなってしまう。しかし、キリストの十字架の言葉を信じる者にとっては、救いをもたらす神の力なのです。
キリストの十字架の福音に堅く立つ者だけが、「神を持っている。御父と御子とを持ってい」て、三位一体の神との愛の交わりを持ち、その交わりを具現化するのが、キリストの体なる教会なのです。