バイブルメッセージ Bible Message

あなたがたは力を尽くして (ペトロの手紙二1章5節以下)

2021年 3月 1日

 

 「こういうわけで、あなたがたは力を尽くして、信仰には徳を……」(5)

 

 信仰を土台として、力を尽くして

 

 ペトロは、まず主イエスを信じる信仰という土台の上に以下のことを加えていくために力を尽くしなさいと勧めているのです

 

 「信仰に徳を」この徳とは、主イエスが現わしてくださった神のご性質です。私たちが信仰の歩みを進める中で、主イエスの似姿に変えられていくことに力を尽くすということです。

 

 「徳には知識を」:この知識とは、主イエスのことを知るための知識です。信仰が歪むことがないために、主イエスを正しく知る知識を加えていく必要があります。

 

 「知識には節制を」:ペトロがこの手紙を書き記した時代、ローマ帝国支配下の社会も、そして今も、この世は不道徳が満ちています。主イエスを信じ、さらに深く知り、似姿に変えられていく中で、この世の価値観との衝突が起こります。もし節制、自制を怠るならば、欲望に、誘惑に負けてしまうのです。

 アダムとエバが誘惑に負け罪に堕落したとき、神と共に歩み、エデンの園を駆け巡る自由を失ったのです。主イエスを信じ、神との関係が回復した者は、聖霊の助けによって、力を尽くして節制するとき、キリストにある自由をもっと豊かに得ることができるのです。

 

 「節制には忍耐を」:これは、単なる我慢強さを言っているのではなく、苦難の中で、もっと主を信頼し、主の導きを求める力が備わるための忍耐です

 

 「忍耐には敬虔」:神を畏れ、神と共に生きることです。その「敬虔に兄弟愛を」、「兄弟愛に愛を」加えていくとき、あなたは、もっと深くイエスのご愛を知り、その人生は豊かにされます。ですから、これらのものを、力を尽くして信仰という土台の上に加えていくように勧めているのです。

 しかし逆に、これらのものが信仰という土台の上に積み重ねられていかないならば、どうなると言っているでしょうか。

 

 「これらを備えていない者は、目が塞がれ、近くのものしか見えず、自分が以前の罪から清められたことを忘れているのです。」(9)

 「近くのものしか見えず」とは、今直面している問題、課題に心が奪われている状態です。それらのものに飲み込まれてしまう。押しつぶされてしまうということです。

 そうなると、信仰という土台が崩れ出し、「以前の罪から清められたことを忘れて」しまうのです。

 イスラエルの民はかつて、エジプトの奴隷から解放されるというすばらしい神の救いの御業を体験したのに、いざ荒れ野に出ると、水がない、食べ物がないとすぐに不平を言って、神様がしてくださった偉大な業をまるで忘れたかのように、こんなことならば、エジプトにいた方がましだったとまで言ったのです。

 私たちは、主イエスの尊い命がささげられ、永遠の滅びから救われ、永遠の命が約束された者です。そのことを忘れないためにも、信仰には、徳を、徳には知識を、知識には節制を、節制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えていく。このことに力を尽くしなさいと勧められているのです。

 

 授かった真理に基づいて生活することを思い起こすために力を尽くす

 

 「それゆえ、あなたがたはすでにこれらのことを知っており、授かった真理に基づいて生活していますが、これらのことをあなたがたに思い起こさせたいのです。」(12)

 

 自分が世を去る日が近づいている。そんな中、私の愛する人たちは、真理に基づいて生活し続けているか、道であり、真理であり、命である主イエスへの信仰を土台として生活し続けているか。そのことを忘れないように、いつも思い起こしてほしい。このことのために、ペトロは力を尽くしたのです。

 私たちお互い同士も「授かった真理に基づいて生活」しているかを思い起こさせるために、御言葉を共有し、愛する信仰の友と祈り合うお互いであることに力を尽くしましょう。                   

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)

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