このような時のためにこそ (エステル記4章)
2021年 8月 1日信仰者の嘆き
モルデカイは、ハマンにひざまずいてひれ伏すことはありませんでした。ただ主を崇める信仰の人でした。しかし自分と同胞ユダヤ人に刻々と迫る危機の中で、嘆き悲しみました。ハマンの策略によってクセルクセス王の名で「彼ら(モルデカイとすべてのユダヤ人)を滅ぼすようにと命じる文書」(3・9)が出されたとき、モルデカイは、「衣を裂き、粗布をまとって灰をかぶり、都の中に出て行って、大きな声で苦しみに満ちた叫びを上げ」ました(4・1)
神を信頼して歩み続けようとする信仰者も、自分や自分の身の回りで起こる危機的な状況を知り、嘆き苦しみ悲しみます。しかし、主はその嘆き悲しむ者の声、叫びを聞いてくださいます。現状をただ嘆き悲しむのではなく神に向かって嘆き悲しみます。神はその声を聞かれ、導きを与えてくださいます。
信仰者の迷い
エステルは、ハタクを通してモルデカイの伝言を受け取ったとき、現実を見ていました。当時、王に呼ばれなければ王妃と言えども勝手に王の内庭に入れば、殺されてしまうという一つの法がありました。ただ、王が好意を示し、「金の笏」を差し伸べた者は死を免れました。エステルは、久しく王に呼ばれていなかったのです。エステルは、そのことをそのままモルデカイに告げました。私たちは、危機的な状況に置かれたとき、神に祈り求める前に、現実を見てしまい、このような事態だからと如何なる決断をも回避しようとしてしまうことがあります。このときのエステルは、戸惑い、迷い、悩みながら、養父であるモルデカイに現状を伝えるのが精いっぱいでした。
信仰者の決断
エステルからの伝言を受け取ったモルデカイは、更に返答します。「あなたは、その他のユダヤ人とは異なり、王宮にいる自分は難を逃れるだろうと思ってはならない。もし、この時にあなたが黙っているならば、ユダヤ人への解放と救済が他の所から起こり、あなたとあなたの父の家は滅びるであろう。このような時のためにこそ、あなたは王妃の位に達したのではないか。」(4・13~14)モルデカイは、かなり強い態度でエステルに迫ります。モルデカイは、エステルを脅迫しているのではなく、同胞の救いのために立ち上がる決断のできる人はあなたしかいない。そして、そのために神があなたを選び用いるのだと、信仰の決断を迫るのです。
遂にエステルは、同胞の救済のために立ち上がる決断をします。神の御手を動かす特別な祈り、断食の祈りを民全体に要請します。そして、モルデカイにこう返答します。「(ペルシアの)法に背くことですが、私は王のもとに行きます。もし死ななければならないのであれば、死ぬ覚悟はできております。」(4・16抜粋)
主イエスが、この地上で十字架への道を進まれるとき、ゲツセマネで祈られたときのことを思い起こします。全く罪と無縁のお方が、私たちの醜い、ヘドロのような罪を背負って十字架にかかるということは耐えがたい苦痛でした。「できることならば、この杯を取り去ってください」この杯、その中身は、まさにヘドロのような罪で満ちた苦難の杯です。十字架の死とはそれを飲み干すことです。そのようにイエス様は、御自身の命を父なる神にお預けになりました。
エステルの「もし死ななければならないのであれば、死ぬ覚悟はできております」それは、まさにイエス様の十字架を指し示す言葉です。そして、主イエスは、御自身の死をもって、永遠の死をもたらす私たちの罪を滅ぼし、御復活によって、永遠の命を与える方となられました。私たちは、主の命に生かされている者です。
信仰者も嘆き悲しみ、迷います。しかし、主イエス・キリストをなお信頼して歩む者に主は、復活という大いなる大逆転勝利をもたらしてくださるのです。