弱い者を顧み、救おうとされる神 (詩編10編14節)
2023年 1月 1日それでもなお神を信じる者として (10・1)
詩編の記者は、苦難の時、一番側にいて欲しいとき、「悪しき者は自らの野望を誇り貪欲な者は主をたたえながらも侮っている。悪しき者は鼻高々で神を尋ね求めず『神などいない』とあらゆる謀をたくらむ」(10・3、4)そんな一大事に、あなたは一体どこにおられるのですか。どうして身を隠されるのですかと訴えています。しかし、「主よ、なぜあなたは遠くに立ち 苦難の時に身を隠されるのですか」という叫びは、決して不信仰の叫びではありません。「主よ、あなたは、悪人が栄え、義人が苦しんでいるのを見過ごし、身を隠したままでおられるなどできないお方ですよね」となお主を信頼しているからこそ、「主よ」と訴えているのです。
昨年2月のウクライナへのロシアによる侵攻以来、無差別に一般市民を狙った爆撃が続き、どれだけ多くの方が苦しめられ、傷つけられ、連行され、犠牲になってきたでしょうか。日本では、高齢者を騙すオレオレ詐欺がなくなりません。弱い者を狙う悪しき者たち、神を侮り、神などいないと悪だくみする者たちが平然と生きているように思えるのです。自分を苦しめている者が裁かれることなく、益々栄えているように思えるのです。
コロナ禍丸3年、私たちも「なぜあなたは遠くに立ち、苦難の時に身を隠されるのですか」と訴えてきたかもしれません。仕事のこと、事業のこと、家庭のこと、病気のこと、学業のことなどが思うように進まず苦しみ、状況が悪くなる一方だと思うこともあり、「一体いつまでこのような状況が続くのですか」と問うてきました。
私たちも、苦難の時、この詩編の記者のように、「あなたは、このまま放っておられるはずはないですよね」となお主を信頼し、主がなさることを待ち望む者でありたいのです。
弱者を顧み、救おうとされる神
なぜなら「あなたは苦しみと悩みを御覧になり 御手によって救おうと顧みてくださる。不幸な人はあなたに身を委ね あなたはみなしごの助け手となられ」(10・14)るからです。主イエスは、弱者の所に来てくださった神です。この上ないほどの苦しみ、痛み、どん底の中にある者のところに来て、その苦しみと悩みを御覧になり、共に生き、救おうと顧みられ、実際救い出してくださいました。
神は弱い者の神なのです。それは別の見方をするならば、神様は、「自分は強い、問題ない、うまくいっている」と思い込んで、自分勝手に生きている人は救いたくても救うことができないのです。神様は、本当に自分は弱いのだと自覚し、主を信頼して助け求める者を必ずお助けくださるのです。
主イエスは、この世に来られ、世の人々から切り捨てられていた人や、徴税人のような罪人とレッテルを貼られていた人たちに寄り添い、顧み、その人たちを救いへと導かれました。主は私たちを見捨てたりしません。どんなマイナスもプラスにしてくださる神です。なぜならば、主イエスがすべてのマイナスを十字架で担い、死者の中から復活によって大逆転をもたらしてくださったからです。
コロナ禍と言われ3年の中で、救われる魂が与えられ、昨年は2年間できなかったことが、少しずつできるようになりました。今年はもっとできるようになると信じます。
主は、身を隠されるのではなく、どんな時も共に歩んでくださり、私たちに最善のことを成し続けてくださるお方だからです。