バイブルメッセージ Bible Message

本物の信仰とは(ヤコブの手紙2章14~24節)

2022年 11月 1日

キリストの愛に生かされる信仰

ヤコブの手紙は、本物の信仰とは如何なるものかを私たちに教えてくれます。それは第一にキリストの愛に生きる信仰です。

「私のきょうだいたち、『私には信仰がある』と言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、その人を救うことができるでしょうか。」(2・14)キリストを信じる信仰によって救われた者は、キリストの愛に動かされ、愛の業に励む者となる。つまり行いが伴うはずでしょう。もし、そうでないならば、その信仰は、「役に立たない」と言っているのです。

主イエス・キリストへの信仰によって生きる人は、主イエスの生き方に倣って生きる者としてキリストの愛に応答して、その愛に生かされるのです。

10月31日は宗教改革記念日ですが、ルターは、パウロ書簡が大好きで、ヤコブの手紙には少し疑問を持っていたようです。それは、ヤコブの手紙は、行いによる義を強調していると受け取っていたからです。

でもパウロは、ガラテヤの信徒への手紙3章11節で「正しい者は信仰によって生きる」とハバクク書の御言葉を引用しつつも、5章6節に「愛によって働く信仰こそが大事なのです。」と述べています。パウロも、愛の行いの伴う信仰がなければと言っています。パウロもヤコブも主イエスを信じる信仰に生きる者は、愛によって働く信仰に生きてこそ、本物の信仰者だと言っているのです。

だからヤコブはこう述べているのです。

「もし、兄弟か姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたの誰かが、その人たちに、『安心して行きなさい。暖まりなさい。存分に食べなさい』と言いながら、体に必要なものを与えないなら、何の役に立つでしょうか。同じように、信仰もまた、行いが伴わなければ、それだけでは死んだものです。」(2・15~17)

本当に神を信じ、主イエスを信じているならば、キリストの愛によって生かされ、愛の業に励み、愛の実が結ばれていくであろうとヤコブは語っているのです。

 

主の備えを信じる信仰

そして、本物の信仰とは、苦難、試みの中で、主の備えを信じる信仰です。

「私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇に献げたとき、行いによって義とされたではありませんか。あなたの見ているとおり、信仰が彼の行いと共に働き、信仰が行いによって完成されたのです。」(2・21~22)

神様は、アブラハムを祝福の源としました。そして、天の星が数えきれないように、あなたの子孫も増え広がると約束されました。でも中々子どもが与えられなかったのです。しかし遂にサラとの間に約束の子イサクが誕生します。ところが、神様は、そのイサクをささげよと言われ、アブラハムを試みられたのです。

アブラハムは、イサクと共にモリヤの山に登っていきます。イサクは、ふとささげものの動物がいないことに気づき、「火と薪はここにありますが、焼き尽くすいけにえにする小 羊はどこですか」と尋ねます。すると、アブラハムは、「息子よ、焼き尽くすいけにえの小 羊は神ご自身が備えてくださる」と息子イサクに答えます。

最愛の息子をささげよと言われる神を、アブラハムはどう思ったのでしょうか。最初、それはひどすぎると正直思ったかもしれません。でも、彼は神がすべてを備えてくださると信じ、本当にイサクをささげようとしたその時、神様は、アブラハムの信仰の行いをご覧になって、その手を制し、動物のいけにえがそこに備えてあることをお見せになったのです。アブラハムは、「なぜ、どうして」という問いかけもしたでしょうが、最終的には、主の山に備えありという信仰に生きたのです。

これまで信仰の歩みの中で、なぜ、こんなことが起こるのか。神様は自分を本当に愛しているのか。このような苦難、試練が起こるならば、もうこれ以上、私はあなたを信頼して前に進むことができない。そう言いたくなるほどの大きな苦難を通られた方がおられます。

しかし、その時、なお主を信頼し、主の御言葉に従い、応答していったとき、主は必要を備え、必要な助けを与えてくださいます。

本物の信仰とは如何なる信仰でしょうか。それは、主のご愛に生かされ、愛の実践を伴う信仰、そして、苦難、困難の中で、なお主を信頼し、主の山に備えありと信じて前に進む信仰です。この信仰に生かされて参りましょう。

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)

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