バイブルメッセージ Bible Message

私はあなたを助ける   (イザヤ書41章14節以下)

2020年 8月 24日

虫けらから新しく鋭い歯の付いた脱穀板にしてくださる神

 

虫けらのようなヤコブ。虫けらとは、小さくて取るにたりない、何の価値もない者という意味です。ヤコブが、イスラエルと呼ばれ、神の民として歩もうとしたのに、愛の神から離れていき、何の価値も見出さないような存在となってしまったのです。

 

しかし、その彼らに「私はあなたを助ける」と神は言われ、新しく鋭い歯の付いた脱穀板としてくださるのです。

 

これは、人にできることではありません。神様の愛の成せる業です。神様にとって、愛することは、決してあきらめないことであり、赦すことだからです。

 

人間同士の間では、あの人には何を言っても無駄だとか、この人は変わらないだろう、とあきらめてしまう。あるいは、遠ざかろうとする。そのようなことが絶えず起こります。でも神様は決してあきらめることなく、その人が変えられた時を思い愛し続けてくださるのです。

 

虫けらのようになったヤコブは、何度神を裏切り、神を悲しませたか分かりません。しかしわたしたち一人一人も同じです。そんな私たちを神様は、あきらめないのです。愛の神は、わたしたちの悲惨な現状を見ても、見捨てない、あきらめないのです。

 

そして、神様にとって、愛することは赦すことです。どれほど神に愛されているかが分からず、どれほど愛を降り注がれているかに気づかず、そっぽを向き、罪を犯し続けた者を赦す、それが神の愛です。

 

わたしたちは虫けらのようなヤコブです。けれども、神はあきらめず、赦す愛の故に、私はあなたを助けると言われ、新しい鋭い脱穀板としてくださるのです。

 

脱穀板とは、穀物ともみ殻を分離させる農具です。しかし、新しい鋭い両刃の脱穀板は、山々を踏みつけて砕くとあります。これは私たち人間の理解を越えています。踏みつぶされてしまう虫けらのようなヤコブが、山々を踏みつけて砕くような脱穀板になるというのです。

 

コロナ禍の中で、一つの山を切り崩しても、また別の山が現れてきます。それは感染防止対策もそうでしょうが、事業を営んでいる方にとっては、どれだけの対策をとっても、感染者が増えれば、制限を加えなければならず、経営が成り立たなくなり、自分が虫けらのような、弱い無力な存在にさえ思えてくるかもしれません。また、病の中にあって、一つの治療が終わっても、また次がある。一回のリハビリが終わっても次がある。それがいつまで続くのかと思い、途方に暮れることがあるかもしれません。また、自分の過ちを分かっていながら、変わりたいと思いながら、変わることができず、自分に失望してしまうことがあるかもしれません。

 

しかし、神様は、私はあなたを助けると言われ、虫けらのような者を新しい鋭い脱穀板にしてくださるのです。

 

渇いた心に生ける水を与える神

 

私はあなたを助けると言われる神が、してくださる今一つは、渇いた心に生ける水を与えることです.

 

「私は不毛の丘に川を 谷の中に泉を開く。私は荒れ野を池に変え、乾いた地を水の源とする。私は荒れ野の中に杉やアカシヤ ミルトスや松の木を植え 荒れ地に糸杉、にれ、つげの木を共に植える。」(18~19)

 

愛の神から離れ、自分の都合のよい偶像を生み出し、その偶像に縛られ、生き続けたイスラエルの民は、渇ききってしまいました。この不毛の丘、荒れ野とは、まさに、その民一人一人の心であり、私たち一人一人の心です。そこに生ける川が流れ、水の源となり、荒れ地に多くの木が生い茂るように、愛の実が結ばれていくという約束です。

 

全く罪のない神の御子主イエスは私たちの罪を担われ、十字架にかかられ、御自身が渇いてくださったのです。まるで虫けらのように踏みにじられてくださった。それは、私たちの渇いた荒れ野のような心に生ける水、命の水を流し込み、そこを神の愛の泉とするためです。

 

「渇いている人は誰でも、私のもとに来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書が語ったとおり、その人の内から生ける水が川となって流れ出るようになる。」(ヨハネ7・37~8)

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)

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